観光スポット 湖南岳陽楼
岳陽楼は、精巧かつ雄大に建てられており、長江以南の三大名楼の一つとなっている。立地は極めて恵まれており、岳陽古城の上に高くそびえ、岳陽城と背中合わせになっており、洞庭湖を見下ろし、はるか遠くで君山島と向かい合わせになっている。北は長江に沿っており、南は湘江に通じている。古典建築物の中の至宝であり、昔から、「洞庭の水は天下一、岳陽の楼もまた天下一」と賞賛されているほどである。
岳陽楼がいつ建てられたかについては、見解が一致していない。一般的には、唐の時代から建て始められ、北宋の時期に修増築されたと考えられている。岳陽楼は中国建築史上極めて珍しい特徴がある。主楼は3階建てで、長方形の形をしており、幅が17,24m、奥行き14,45m、高さ15mとなっているが、建物全体に渡って一本の鉄釘も横梁も使われておらず、四本の楠の大柱で建物すべての重さを支え、さらに十二本の丸木で2階を支え、外は十二本のキササケ(日本語にありません)の柱でひさしを支えている。互いに引き付け噛み合わせているため、石のごとくしっかりと固定されている。またも う一つの特徴は、建物のてっぺんの形が将軍の兜に非常によく似ていて雄々しい上に、一般のものとまったく異なっているという点である。言い伝えによると、ここではかつ て三国時代の呉国の大将魯粛が大軍を閲兵した場所だそうだ。滕子京は岳陽楼を再建したが、1639年(明の崇禎11年)に戦火で焼き払われ、翌年再建し直 された。清朝時代には幾度も修繕が行われたが、1880年(清朝光緒6年) 知府張徳容は一度岳陽楼の大規模な修繕を実施し、楼の敷地を約20m内側に移動させた。1949年以降、政府は何度も補修を行い、1983年には再度 腐食した部分を元の材料を使って復元した。
岳陽楼を有名にしたのは、北宋の著名文学者范仲淹(989-1052年)の書いた不朽の散文「岳陽楼記」である。「岳陽楼記」は全部で360字、文体と文に込められた心情とも深く優れたもので、心底から感動させられる。すでに世渡りの格言となっている「先天後楽」(天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」の句は、天下人や政治家の心がけとしても、後の世に永く語りつがれている。